京都カラスマ大学

2022年11月8日6 分

【授業レポート】山形と京都をつなぐ、紅花をめぐる旅の物語

最終更新: 2022年11月9日

※2022年10月29日(土)開催の「山形と京都をつなぐ、紅花をめぐる旅の物語」授業レポートです。


べにばな。

私にとっては、「食用油」と「薬膳」が真っ先に頭に浮かぶ単語なのですが、スマ大世代のみなさんには「おもいでぽろぽろ」(スタジオジブリ)?という方もいらっしゃるでしょうか。

紅花は、日本では古来より染料や口紅の原料として長く使用されてきました。紅花の一大産地である出羽、最上(現在の山形県)と京都との、文化的な繋がりを記録したドキュメンタリー映画「紅花の守人」

その京都シネマでの上映に合わせて開催された京都光華女子大学の市民向け公開講座に、カラスマ大学として特別に席をわけてもらいました。佐藤広一さん(映画監督)、長瀬正美さん(紅花農家)、青木正明さん(染色家)の鼎談授業です。

会は大きく3部構成。自己紹介の後、佐藤監督による未公開映像集の観賞会、染色のワークショップと染色の仕組みのお話。そしてQ&Aタイム。教室を移動して、スマ大生だけのアディショナルタイム(茶話会)でした。

冒頭の自己紹介。山形生まれ、山形在住の佐藤広一監督から、今回の映画で紅花を扱うまで紅花には詳しくなかったという告白がありました。地元でも知らないことって、たくさんありますよね。

でも、長瀬さんと出会ってから4年もの月日を費やした映画制作を通じて、紅花、紅花の文化を広めていきたいと心から感じた、という発言に期待が膨らみました。

次に紅花農家の長瀬正美さん。紅花染のポケットチーフがとってもオシャレです。

今回の映画製作の発起人であり、山形市北部・七浦で専業農家を経営されています。紅花以外にも、トマト、おかひじき、ホウレン草などの商品作物を栽培されているそうです。映画プロデューサーの高橋卓也さんに、5年前に紅花映画の製作のお願いをしたとのこと。2021年秋に完成した今回の映画「紅花の守人」を通じ、山形と京都の古来からの繋がりの強さと、紅花が育んできた歴史、文化、経済を感じて欲しいことを力強く話されました。

映画作りが、ひとりの生産者さんの熱い想いから始まったとは、驚きです。

最後に、染色家・青木正明さん。「佐藤さんは、カメラ、編集、DCP制作まで一人でやっている。長瀬さんは、山形県のトムクルーズ!」と、京都光華女子大学短期大学部准教授として普段から教壇に立つ青木さんならではの、笑いを誘う一言。会場の雰囲気が一気にほぐれます。

次いで未公開映像集の観賞会が始まりました。

(85分の今回の映画を作るために、足掛け4年、70時間も撮影したのだそうです)

未公開映像集では、まず、長瀬正美さん(紅花農家)による紅花の手摘みのシーンが印象的でした。「棘が痛いので、自分から棘を刺さりに行くように摘む」のだそうです。その後、菊池和博さん(東北文教大学特任教授)による、江戸時代の商品経済を描いた紅花絵巻の考察、大山るり子さんの「煮てよし、染めてよし、食べてよし」の紅花レシピの紹介と続きます

特に、冬の山形で紅花染をする新田克比古さん(染色家)の場面が印象的でした。「紅(くれない)は日本伝統の色」「薄紅色、濃紅、韓紅は重ねの色」「古来より着る物によって、季節を示してきた」「紅(くれない)は、日本人の四季折々の色を示す色の一つ」「追い詰められている時は紅染はやらない」など、冬場、雪深い白色を背景に、仕上がった織物を検品する場面は、身体で聞く場面として、心を揺さぶられました。

▼映画についてはこちら
 
映画『紅花の守人』 妖しき紅に魅せられ、守り継ぐ人々の奇跡のものがたり
 
https://www.kimonoichiba.com/media/column/833/

鑑賞会のあと、染色のワークショップと染色の仕組みでは、「4年も撮影していたのに、実は紅花染未体験」という佐藤監督による染色の実演と、青木さんによる染色工程の説明がありました。

まず、紅染めをするための紅餅と、炭酸カリウムを投入したアルカリ水をなじませます。「炭酸カリウムは藁灰の代わりであり、うま味成分を抽出した味の素と一緒です」という青木さんの説明に、化学記号が浮かばない頭でも、理解が進みます。出現した色はイソジンの様な色(ヨードチンキ)。アルカリ液に黄色、赤色が混在しているそうですが、とても紅色が発言する色には見えません。その後、烏梅の代替品としてクエン酸を投入し、いよいよ、絹、木綿をどぶ漬けし、染色。最後にクエン酸にもう一度浸し、色を定着させました。

佐藤監督が染色液から生地を引き上げると、木綿は鮮やか過ぎる紅、絹は少し橙がかかった朱色に染まっています。

ここで、染色を解説するために、青木先生とスマ大スタッフによる寸劇がいきなり展開されることに。

まず、「水に溶けるとは、物質が水分子と手を繋ぐこと。水に溶けないとは水分子と手を繋がないこと。溶けない場合は、沈殿が発生し、異なる分子同士で固まってしまうのです」という前提の解説。

その上で、「紅色の色素(カルタミン)はアルカリ性が大好き。クエン酸を投入すると、アルカリ水が水に変化する。(発生した泡はCO2となる)。カルタミンは、止むなく、分子構造が大きい生地とくっつく。これを専門用語では、疎水性相互作用と言うそうです。

絹と木綿の生地の違いが示す発色の違いは、繊維の成分によるもの。木綿や麻は、セルロース。色恋沙汰でたとえると、好みの人が決められないタイプ。木綿には黄色が定着しないので、絹と比較し、紅が強く出る。一方、絹やウールは、タンパク質。

誰とでも付き合える/バリエーションが豊か/くっつき易い、という説明に、世界最古の長編恋愛小説・源氏物語を思い出してしまいました。

最後に、Q&Aとアディショナルタイム(茶話会)で、個人的に記憶に残ったQ&Aトップ3を取り上げます。

Q:メンズシャツ1枚(270g)を染色するのに必要な紅花畑の広さは?

A:約5m×5m。改めて数字にしてみた青木さんの受け止めは「意外に狭いな」。会場の私たちは「いやいや、そんなことないですよ!」という気持ち。

Q:紅花のピーク時の生産量は?

A:紅花の帆走単位は「120kg=馬1頭」。全国2000頭分。山形はうち1000頭分を占めた。

それらは、京で西陣織、口紅として消費された。京には北前船で搬送され、搬送時には紅花商人が活躍した。往路では紅花、復路では塩・砂糖・生活用品、雛人形などを出羽、最上に持ち帰った。「のこぎり商売」と呼ばれたのだそう。紅花を通じ、京都の文化は山形に流入してきた。日本一の紅花商人は、1年間で2万両(12億円)の売上があった。紅花一匁目は金一匁、米百俵と等価であった。紅花は年貢の代わりにもなった。米沢藩の再建人・上杉鷹山から受け継がれる紅花の歴史の重みを感じました。

Q:紅花=山形になった理由は?

A:元々、山形は生産地で、染色の技術はなかった。戦後、一握りの種子が発見され、米沢の教師・鈴木孝男さんが研究を重ねられた。加えて、新田は元々袴を作っていたが、紅花を用いた紬を造れないかとの相談を受けた。昭和40年代に伝統工芸展での作品入賞後、呉服店との直接の繋がりを得た。結果、材料としての紅花ではなく生地としても山形のイメージが構築できた。伝統は単に引き継がれるものではなく、更新されていくものだと感じました。

授業予定の時間を少しオーバーしても、まだまだ話し足りません。「紅花の魅力は、美しくってネタ満載なヤツ」という染色家・青木さんの言葉に、農業遺産・紅花が育んできた、単なる農芸ではなく商品作物として看板を背負ってきた重みを感じました。

古来より、紅花の紅の鮮やかさは人の心を揺さぶってきたこと、だからこそ関わる人も多く、まつわる話も尽きないことを感じた時間でした。

レポート:白倉幸治

写真:かなっぺ


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