※2022年10月27日開催「近寄ってみたら、みんなおかしい。「私の知らないぐるりのこと」Vol.3」の授業レポートです。
「近寄ってみたら、みんなおかしい。わたしの知らないぐるりのこと」、第3回目のゲストは丹下紘希さんでした。
丹下さんは2000年代、Mr.Childrenをはじめとする有名アーティストのMV(ミュージックビデオ)を次々と手掛けられた映像作家さんです。
東日本大震災の原発事故を機に、自身が立ち上げた映像制作会社を休止され、仲間とNOddINという社会芸術運動を立ち上げられました。その後も、国際平和映像祭の審査員を務めたり「戦争のつくりかたアニメーションプロジェクト」の発起人・企画を務めたりされるなど、非戦・非核の活動を続けていらっしゃいます。
また、「投票所はあっちプロジェクト」やポッドキャストラジオ「ラジオクライニ」への参画、実は京都への移住、暮らしていた期間も長く、京都市内小学校のPTA会長としてPTA改革に取り組まれるなど、様々な活動をされてこられました。2021年からは、亀岡市内の葡萄農家で働きつつ、かめおか霧の芸術祭に対話の会開催などの形で参画されてこられました。
僕も2年ほど前から、「ラジオクライニ」の公開収録や対話の会「だれかとはひふへほの会」に参加させていただき、そのたびに丹下さんから学びや問いをいただいていました。
さて、とっぷりと日も暮れて、そろそろ授業の時間です。
「ようこそ、カラスマ “ほろ酔い” 大学に!このまま順調に、カラスマ “泥酔” 大学に!」
今回も、ホスト役の京都・一乗寺ブリュワリーオーナーで精神科医の高木俊介さんのユニークな挨拶で、「わたしの知らないぐるりのこと」授業が始まりました。
高木さんは丹下さんについて、次のようにご紹介されました。
「私は1、2年前からのお付き合いなんですが、ご存じの方はものすごくご存じですよね。僕とご縁があると思うのは、3.11の後、僕は福島のこどもたちを八丈島に泳ぎにつれていく活動をしていたのですが、彼も社会的な活動をされていて」
「彼の作品の中に、『戦争のつくりかた』というアニメーションでここまで出来るんだっていう作品がありまして。この2月にロシアとウクライナの戦争が始まった時、私の周りも『ウクライナを助けるために戦いに行けーっ』みたいな雰囲気になっちゃったんです。僕が、『現代の情報戦の恐ろしさを、もう少し深く考えたほうがいいんじゃないか』と言ったところ、僕は孤立しちゃったんですね。そんな時、丹下さんがFacebookに思うところを書かれていて、それがいいねを集められていて、僕はものすごく救われたんです」
丹下さんは、
「そんなふうに紹介されると、どこから話したもんだかと思うんですけど…。今日の目的としては、『みなさん仲良くなる』ことかなぁって理解してまして」
この授業のコーディネーターで、現在一乗寺ブリュワリーの企画運営にも関わる山倉あゆみさんが、助け舟を出します。
「そうですね。一乗寺ブリュワリーのテーマでもあるんですが、この会の大切なテーマとして『近寄ってみたらみんなおかしい』というものがありまして笑」
この授業の教室は、一乗寺ブリュワリーのクラフトビールの飲める店、「ICHI-YA」。その店内に掲げられた、大きな看板を指さしました。
「そうそう!」と答え、ご自身のエピソードを語り始める丹下さん。
「僕には、『家を出ることが出来ない病』がありまして。家を出ようとすると『はっ!忘れ物があった』と言って、戻って探して。『よしもう完璧だ』と思うと、また『はっ』。忘れ物を何度も何度もして、戻って。そのうちに時間が過ぎてしまって、もう行っても無駄な時間になっちゃって。それで肩をがっくり落として、『なんて俺はダメなやつなんだ』」
「でも、最近は、そう言うのを行ったり来たり繰り返しながら『そんなに悪くないんじゃないか、俺』みたいな気持ちにちょっとずつなってきて」
丹下さんのお話に、会場の空気がゆっくりとほぐれていきます。
「最近見つけた解決法は、めちゃくちゃな言葉を言うこと。『ほにゃほにゃふにゃふにゃー』みたいな。それをすると、ちょっとは自分を愛せるようになる。…一回言ってみてください、もし、『俺は何てことしたんだ』『なんて私はダメなんだー』と思ったら。そのへんてこな自分を許容するところから始めることが、第一歩なのかなって気がしています」
丹下さんは、葡萄農家での近況を話されました。
「今、亀岡にいて、無農薬の葡萄農家をしているんですけど。どうしてそっちのほうに行ったかと言うと、、、行きたかったんですよね。田舎のいいとこだけ取ってきて、後の生活は東京・京都。それは絶対やったらあかんという気がしてて。つまり、その土地の循環の中に入っていない。自分がいいことも悪いことも含めてやりながら、その土地に還していくっていうことがしたくて」
「今日、先々週捕獲したアナグマが、檻を壊して出ていっちゃったんですね。すごく強い奴で。今年の夏は、マムシを2匹、スズメバチを100匹ほど殺しました。殺生の話ばかりになるんですけれど、僕たち人間、命を奪いながら生きている。その殺生も、すまんと言いながら」
「ミツバチ、かわいいったりゃありゃしない。撮蜜を始めたんだけど、蜜を狙ってたくさんのスズメバチが来るんですよ。スズメバチはミツバチの天敵なんで、なんとかしておっぱらおうとしたんだけれど、とてもじゃないけど出来なくて。こっちもリスクがあるんです、刺されるかもしれないから」
「スズメバチに刺されるかもしれない、マムシに嚙まれるかもしれない、アナグマやアライグマに引っかかれるかもしれない…そういうことを了承しながら生きるのが、命の循環の中に入ることなのかなと思って。だから、どっかで僕は『死んでもいい』と思ってるんですけど」
『死んでもいい』と聞くと、心が少しヒヤリとしますが、丹下さんは、何故そういう思いになったかについて話されました。
「私たち自身が、あ、私たちとは人間のことなんですが、自然とものすごい分断されてるんですよね。だって、みんな、どこで誰がどうやって育てたかわからないものを食べてるんですよね。ものすごいぞんざいに育てられた命かもしれないし、大事に育てられた命かもしれないし。その辺が全くグレーなまま。そこが分断されてると思うんです。その分断を少しずつつなげていくのが必要なんじゃないかな、そこから始めないと先に行けない気がして」
地域の人との交流から気づいたことも話されました。
「葡萄をつくり始めると、近所の人が野菜持ってきたり『お金忘れたんや~』と言いながらみかん差し出したり、僕も『いいっすよいいっすよ』と言いながら葡萄渡したり。少しは交換経済が成り立つようになる。でも、同時にその難しさも知る。『うちの葡萄はもっといい物なんじゃないか』とか『1年かけてつくったし』と思ってるから、モノの価値は人それぞれということが許容できない。気持ちはずいぶんやらしいもんだなっていうこともわかってきました」
「死ぬのはみんな平等なんです。その平等さがベースにあることをついつい忘れてしまう。長生きすればいいと思ってるし、『死にたくない』という気持ちがむくむくと出てきちゃう」
「分断」というキーワードから、最近行われた元首相の国葬儀に対する世論を例に、他の人と対話する意義についても言及します。
「賛成・反対っていうものに二元論化して世の中が動いていく様を見ていると、なんとも言えない気持ちになるんですよ。これでは前に進まないっていう気がしちゃうんですよね。『私の考えでもない』『相手の考えでもない』という第三の視点に立つことが出来た時に、対話の意義が花開くと思っていて。私の正義っていうものと、あなたの正義っていうものが対立・平行している時には、対話にもならないし、第三の視点にも立てないんです。だから、第三の視点を求めるっていうのが、自分の意思表明としてはあってるんですよね」
ここで丹下さんは、詩を読み上げられました。国葬をテーマにした、「いつの間にか その人はどこにもいない」という詩でした(丹下さんのFacebookで公開されています)。
後半に向けて、丹下さんから参加者に話題提案がありました。
「みなさんは、どう死にたいですか? 飲みながらじゃないと話せないかもしれないですけど、自分が死ぬことを、平等だという観点からポジティブにとらえて、これからみなさんに話し合っていただきたいな」
丹下さんは、自身の葬儀は不要で、それよりも循環の中に入りたいと話されました。「堆肥葬」という言葉があるようです。
「分解する環境に、自分の肉体を入れたい。命をずーっと奪い続けて、今の自分は生きている。だから最後くらい、自分も循環の中に入って貢献したい」
「こどもたちには『借りたものをどうやって返すか』っていう話をするんです。『地球は借りもんだから、人間が借りた状態のまま、出来るだけ綺麗な状態で返せたらいいよね? こんな状態で還すことはしたくないよね?』と言うと、こどもたちも『うん、うん』と。地球は自分たちの所有物でもないし、『この土地はいくらで買ったから俺のだ』って思ってる人もいるかもしれないんですけど、すべては一時・一瞬住まわせてもらってるだけなんで、ということを前提にして生きていけないかな、というのも根本にあります」
ここで、丹下さんは、ご自身が審査員として関わられている国際平和映像祭でのエピソードを紹介されました。
「ある作品を観て、1か月かかったんですけど、(映像をつくった人に)長い手紙を書きました。それを先日送ったところで」
内容は、「気持ちの伝え方について」。伝える人と受け取る人の間でずれることがあることについて綴られたというお話でした。
それを聞いた高木さんは、静かに語り始めました。
「みなさん、純粋な高校生に戻ったような感じで聞いておられましたね。丹下さんの今日の話は、短い時間の中だけどものすごく広くて、自然の循環の中に入りたい希望があるんだけど、素直に入っていくためには社会と言う大きな矛盾・分断があって。それをどうしたらいいんだろう。きっと答えは出ないんだけど、悩み続けなきゃいけない話で、どうしたって社会にいる限り、不平等とか差異の関係というのは、僕らがいくら善意を持ってもそれを偽善にしてしまうような関係があると思うんですよね。みなさんが、『純粋な高校生の顔で聞いた疑問が、大人の自分とぶつかり合う』、そういうものが、このあとの話し合いの中でできるといいですね」
その後、参加者は3つのグループに分かれて、30分間の対話の時間が始まりました。
各グループから、様々な意見が聞こえてきました。
・車の運転している時、「自分が死んだらどうしよう、周りの人どう思うんやろう」と考えることがある
・死をさけているとこがある。死とちゃんと向き合えているのだろうか
・二元論化は、意見を持ってる人たちのことじゃないだろうか
・矛盾を抱えつつ、苦しいこともありつつ…それが人生
・おばあちゃんが亡くなった時、お墓まで担いだんですよ。人が死ぬってこういうことかと思った
・何か残したい。手紙を書いてある。でもなんか知らんけど、70超えてまだ生きている
・知人が泊まってくれたり、体調悪い時世話してくれたり…家族を拡張している
・死んだ直後の諸手続き、自分で出来たらいいな
・横断歩道で車にはねられたことがある。スローモーションだった
・心配ごとをなくしてから死にたい
・親としてはこどもが心配。迷惑をかけたくない
・死に対してポジティブになれるだろうか
・生きている意味を生きている間に考えたい
・どう死ぬかはどう生きるかにつながる
・みんな、『こうやって生き延びさせる』『こうしたら生きられる』っていう話ばっかり。でも、本当はどう死にたいかの話をしなきゃいけない
・献血に行き、臓器移植の意思を示している。それで誰かが喜んでくれたら私もうれしいし、そういう生き方が死に方につながってる
・大切な命が緩やかに時間をかけて終わっていくっていうことも、残されたものにとっては大切
・楽しく生きたい、辛くても苦しくても
・希望が残っていたら、人は生きられる
21時半の授業終了時間をこえてからも
「PTA会長時代のお話がぜひ聞きたい」
「亀岡に移住されて、どう地域と馴染んでいるのか知りたい」
などの質問が出され、丹下さんは一つ一つ丁寧に答えておられました。
終了後も、23時の閉店ぎりぎりまで対話は続きました。
丹下さんが参加者と、こんなお話をされる場面がありました。
「(本人がどう死にたいかを)周りの人がほっとかないんですよ。それをどうするかってことのほうが問題なんですよ」
「自分を形作っているのは、他人の目線だったり評価だったり。それがすごく嫌で」
自分がどう生きるかを、自分だけで決めることが難しい今の社会。それを自分の手に取り戻したいと願うから、僕らは丹下さんの取り組みに共感するんじゃないだろうか?
何度も丹下さんのお話を聞いているはずの僕もまた、ひとつ新しい問いをいただいた気がした、「わたしの知らないぐるりのこと」への参加のひとときでした。
レポート:新山隆司(たかっしー)
写真:うえ
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