• 京都カラスマ大学

【授業レポート】無になるじかんの提案(8)〜両足院の坐禅体験〜

2020年3月15日開催「無になるじかん(8)〜両足院の坐禅体験〜」の授業レポートです。


心を落ち着ける

2011年、東日本大震災の年から始まった「無になるじかん」の授業も今年で8回目(1年だけ、違うタイトルで開催しました)。


気が付けば坐禅の授業スタッフとしての参加も3回目です。1回目は坐禅の姿勢や呼吸に気を取られ、2回目は寒さに気を取られつつですが、坐禅をすると心が平らになる心地よさを感じていました。


最近、世界的に心落ち着かない情報が日々次々と飛び交い、心がざわざわしている方も多いかと思います。私もその一人。少し息苦しい情報から離れ、心を無にして肩の力を抜いてみたいなと思い、スタッフとして参加しました。

場所は、建仁寺塔頭「両足院」。春とはいえキリっとした寒さを感じ、朝の光と空の青さ、鳥の鳴き声が印象的な朝です。


おなじみの副住職・伊藤東凌さんの説明のもと、まず短い坐禅を3回。

1回目は周りに意識を向けて。2回目は自分の体に意識を向けて、3回目は、自分と周りとの境目をなくす感じで。そして、最後に3回目の要領で少しだけ長めの坐禅を組みます。


今日のお話では「自分と周りとの境目をなくすこと」が無になるコツだということ。坐禅をしてみると、気になっていること、楽しみなこと、悩んでいること様々なことが頭をよぎります。それを自分と周りとの境をなくした状態(例えると、温泉に入って気持ちよくて自分の体とお湯との境目がなくなりそうな感覚、正座したあと足がしびれてどこまでが自分の足がわからなくなる感覚!)で受け流していく、と説明を受けました。なるほど、やってみましょう。


ひんやりとしたお堂で線香の香りの中、坐禅を実践していると、だんだんと自分も庭で風に揺られている木々になったような感覚に、、、。


坐禅を終えると、頭の中も心もすっきりした気分になっていました。生活の中で見えにくくなっていた冷静な素の自分に戻れた感じです。 周りで起こる様々な出来事にも、木々のように自分の芯をしならせ受け流すことができるような気持になりました。


佛教の言葉に安心(あんじん)という言葉があるそうです。普段私たちが使う安心(あんしん)と同じで、心が安らかに落ち着いていることだそう。私たちは、安心できるように頭で考え色々と実行しているつもりでも、次から次に不安は生まれてきて流されそうになります。「安心」は心を落ち着けて、平らにすることで得られるものではないでしょうかというお話を聞いて、つい不安な情報に踊らされそうになりますが、心を落ち着けて、自分で判断し、自分と周りに垣根を作らず、日々の暮らしを送っていきたいなと思いました。


無になるじかん。


落ち着きたいとき、迷ったとき、すっきりしたいとき、生活に取り入れたい時間です。  



レポート:かずえ

写真:高橋マキ

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