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  • 執筆者の写真京都カラスマ大学

【授業レポート】思考力を高める教育が、なぜ現状と将来を不安に思う人間を産んでいるのか

更新日:2023年11月11日

 

下京区の歴史ある京町家をリノベーションして作られたオープンスペース「ソイコレ」。こちらが今回の京都カラスマ大学の教室です。


まだ6月だというのに、かなり暑い日でしたが、京町家の中は非常に風通しがよく、終始快適に過ごすことができました。




6月25日(日)に開催した授業テーマは、ズバリ「思考力を疑う」こと



先生に、NPO K’s Point代表の森本武さんをお招きし、私たち人間が普段生活をしていくうえで発生する「思考力」と、どのように向き合っていくべきであるのかというお話を聞かせていただきました。


K’s Pointでは、インドの教育思想家 J. クリシュナムルティが提唱した「思考に依存しない生き方の可能性」を探り、人間の抱く不安を解消することを目指し、より多くの方とこのクリシュナムルティの思想をシェアする場を提供しているのです。





私たちが生きていくなかで、何も考えない日はほとんどないと言っても良いでしょう。


実際にこの文章を書いている今も、情報を整理しながら「考えて」しまっている訳なのですが、、、。


考え始めから考え終わりまで、人間が思考する際には少なからず「時間」が発生するのだと森本先生は語ります。有限である人生は、できるだけ思考しない時間を持つべきである。嫌なこと・辛いことを思考してしまうから不安の雲が現れてしまうのだ、しかもそのほとんどは「過去のことではないですか?」。


言われてみたらその通りで、恐れや悩み、不安は思考からくるものだと私は改めて気付かされたのでした。


また、先生は “認知症” は辛いという考え方はナンセンスではないかという問いを提示されました。忘れること=病気とするのではなく、=頭の中がクリアになる=思考を忘れることができるのだと考えると、どうですか?と。


そんなふうに考えてみると、記憶の忘却について恐れる必要がなくなるかもしれません。もしも生活に必要な事柄を忘れてしまった場合は、周りの人々の手を借りることもできますし、周りの人々も頼られたら支えてあげることができたならばなによりですね。





思考力よりも「洞察力」を伸ばすべきであるとのお話もありました。


洞察する力を高めていくことには、思考することは全く関わらないため、全体を見て物事の本質を見抜く力が身につけられるようになるのだそう。


そもそも思考する際に、私たちは無意識のうちに全体から少しずつ分割して考えてしまっており、全体像が見えていないままに思考を働かせている。


隠れた情報もたくさんあることも然り、全体が広すぎて最初から見通すことはまず無理。では、どうしたら洞察力を身につけることができるのか?といった疑問が出てきます。


その答えは今回の授業タイトルにあるのです。そう、「思考力を疑う」ことです!


冒頭でも述べていますが、私たちは常日頃より思考することを信頼してしまっています。


しかし、予測不可能な未来・ほじくり返しても意味のない過去・気にする必要のない他人のこころ・抗うことのできない運命などといった事物は考えるだけ無駄になるものの一例。


「考えても無駄なこと」を思考から削除すると、脳みそのストレージが90パーセント以上も空く(!)という話も飛び出しました。


これらを思考の対象から外してみることで、今までとはものの見え方が段違いになること間違いなしです。生徒のみなさんから、それだけで「頭がスッキリした」との声も。


私も、さっそく実践してみようと心構えができました。


「実は私たちの眼に見えている世界というのは、相当に胡散臭いものである」とは森本先生のお言葉。





たとえば、学校で使用される教科書の権威は、正しい、偉いものなのか?と問いかけ。確かに、教科書は編集委員という「人」によってつくられるものですから、そこには絶対の正しさなんてものは存在していないのかもしれませんね。


日本もデンマークのように、疑い続けることを尊重する教育方針に移行するべきであるとの考え、非常に共感できますがいったいいつになることやら、、、。


森本先生は私の在籍している嵯峨美術大学・嵯峨美術短期大学の学長先生をかつて務めていらしたこともあり、その時にはもちろん、式典における挨拶文等も担当されていたわけですが、なんと森本先生は登壇してから思いつくままにお話をされていたのだとか。


これには相当驚かされました。


現役大学生の私の場合、大学の講義での中間講評やレポートの発表会では事前に話す内容を考えてからの勝負を基本としていたからです。


その理由はもちろん、失敗したくないからなのですが、先生の言葉を借りれば「成功も失敗も概念である」と、なります。予測不可能な未来のことですからね。ということは、、、


変に「失敗するかもしれない」なんて考える必要はナイナイ!


考える時間を減らすことで、こころの安寧に繋がるのならば 森本先生に倣って思うままを述べていくことが望ましいのでしょう。





最後にもうひとつ。


「気にする必要のない他人のこころ」について。これも、思考の対象から外すべき一例です。


自分のこともわかっていないのに、他人のこころを知るなんてさらに難しいことです。ただ、それでも他人から意見を聞く場面では、そのこころを認めてあげることも重要なのだとか。ここで言う「認める」とは、あくまでも「賛成」である必要はありません。


とにかく自分のこころの内に他人のこころを落とし込むことが大切なんです。


「自分はこうだけど、そういう意見もあるのだな」と思うことで知見も広がってゆきます。







ここでは、自分自身を「見つめる」はたらきがとても大切であるとのお話もされていました。


たとえば、寝る前にぽつぽつと頭の中に浮かんでくる様々なイメージ。

この思考を止めよう止めようとすると、「止めようの思考」が働いてしまいます。


だから、これらは何も考えずただ見つめるだけでよいとのこと。

ただ、自分自身を見つめなおし、そして穏やかな安寧のなかへ。

そうすることで不安や苦悩は一切なくなる、と先生はおっしゃるのです。


近年SNSが普及したことで誰もが「自分」を他人へと発信していく土壌が形作られています。その中で他人に認められたい「承認欲求」や「自己肯定感」といった言葉もよく耳にするようになってきました。自己肯定感を高めること自体に関してはより充実した人生を送るため問題ない、むしろ推奨するべきことではあるのですが、、、。


そのために他人に認められたい「承認欲求」の衝動に駆られてしまうことは避けるべき行為であるのだと私は感じています。


「気にする必要のない他人のこころ」は、気にしない。考えない。


他人から受けるあれこれは二の次。仮にそこへ否定的な意見が出たとしても気に病む必要なんてありません。





「バカボンのパパがお手本ですね!」という感想をもった生徒の方もいて、みんなで思わずうなずいてしまいました。


「これでいいのだ!」と自信を持って自分を褒めてあげると、より毎日が楽しめることでしょう。


自分自身を見つめ直すことを目標に据え、各々新しい発見が得られる良い機会となりました。私自身の人生観をガラッと変えるお話をしてくださった森本先生、授業をコーディネートしてくださった伊藤あゆみさん、素敵な場所をお貸ししていただいたソイコレの作島さん、そして一緒に学びの場に参加してくださった生徒のみなさんへ、特大の感謝を贈ります。


ありがとうございました!!!!




レポート:石元楓大 写真:程冠宇 授業コーディネーター:伊藤あゆみ

 

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